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photo by Mortlake Press
世界遺産シギリヤの乙女 Sigiriya

コロンボ北東部に位置する世界遺産であり、200メートルの高さのある広大な岩の塊で、北部平野の、東部(90ヘクタール)、西部(40ヘクタール)の二つの長方形の地域を囲んでいます。
南アジアの中でシギリヤは、最初の千年期から最も良い状態で保存されており、スリランカの紀元五世紀における都市計画、建築、庭園、風景、工学、水力技術、芸術の粋が凝縮されています。
紀元459年から477年まで、頂上にある砦から国を支配していたカッサパ王がこの岩を要塞へと変えました。
この岩の頂上には、宮殿、職員住居、池、庭園、聴衆ホール等があり、1.5ヘクタールにも広がる砦の遺跡となっています。頂上までの途中に、頂上へつながる階段のある平らな場所があります。その階段は大きなライオンの彫刻を通ってつながっていると信じられています。ライオンの足は今日でも克明に残っています。
岩の西側表面上に避難場所があり、ちょうどその下に、有名なシギリヤフレスコ壁画、美しい乙女の絵があります。墓碑銘学の証明によると、元々は五百あったものが、今はそのうちの十九が残っているそうです。フレスコ絵画の近くの下に、通路を保護する2,85メートルもの長い漆喰の壁が続き、よく磨かれており、今日でも輝いています。この壁は「鏡壁」と呼ばれ、この鏡には、何世紀にも渡り、シギリヤへ訪れた人々の気持ちや思いを綴った、シギリヤ叙事詩が書かれています。
高地にあるボルダー庭園が非対称に作られているのに対し、西地区の水の庭園は対称に作られています。この水の庭園は、世界で最も精巧な水力技術の一つを駆使しています。各庭園には、珍しい景色の池、小島、排水管、通路、遊歩道、パビリオン、玉石、木々等が見られます。
photo by Tom Tidball
大昔からスリランカは、豊かな宝石の島という輝かしい代名詞を持っていました。大いなる自然は、その最も希少ないくつかの宝を眠らせるために、スリランカを選びました。ブルーサファイア、猫目石、アレクサンドライト、ルビー、スタールビー・・。川床の小石と砂の層、湿原、草原、あるいは丘の麓に眠っていたこれらの宝石が、スリランカを有名な島にしました。自然の工場で作られた宝石は、長い長い年月を眠って過ごしましたが、決して色褪せないその輝きは、はかり知れない価値を秘めています。
 City ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
コロンボ国立美術館
スリー・ジャヤワルダナプラ・コーッテ, コロンボ Sri Jayawaredenapura Kotte & Colombo

コロンボは1815年にイギリスによってスリランカの首都とされ、港付近の西海岸に位置しています。しかし、コロンボ港は何世紀にも渡り、船乗りが豊富なスパイス、宝石、象でさえも購入しにスリランカへやって来たと知られていました。16世紀にスリランカの首都であったコロンボ郊外のスリー・ジャヤワルダナプラ・コーッテに首都が移転してから15年以上も経った今日でも、この都市は多くの貿易拠点のあるこの国の商業都市であり、企業や政府事務所、大使館、国際的な代理店が未だに立地しています。
コロンボはポルトガルの到来と共ににぎやかな都市となり、その後オランダやイギリスが続いました。たくさんの植民地時代の建物が並んでいます。この中で最古のものは改装されたウォルヴェンダアル・オランダ教会で1749年に建てられ、今はオランダ美術館となっていますが、元来は郵便局でした。要塞地域には、イギリス統治時代のカーギリス、ミラーズ、大統領邸宅を含む多くの建物があります。
この都市の国際的気質は全ての信仰、民族の人々にとって故郷のように感じられ、色々な場所に、仏教寺院、ヒンドゥー教寺院、イスラム教モスク、教会が並んでいます。
港近くの古い議会建物、ベイラ湖、水路、ウィハーラ・マハー・デーウィ公園は都市の見所となっています。
ショッピング、娯楽、リラックス、アジアの様々な各国料理のレストランが立ち並んでいます。もちろん、コロンボには10店以上の日本食レストランもあります。
デヒワラ動物公園、コロンボ国立美術館、アートギャラリーは絵画の収集は常置しており、たくさんの文化イベントや展示会が開催されるので、その他の場所にも訪れる価値はあります。
新しい議会建物は、たくさんある水路と繋がっている自然湖、ディヤワンナ・オヤの中間地に位置します。湿地帯から成る美しい景色に囲まれています。マングローブで満ちているこの湿地帯は、多種類の鳥の住処となっています。
Galle
世界遺産シルクルートの港ゴール Galle

コロンボ南部から116キロ離れ、コロンボ港が目立つようになるまで、かつてはアジアの最もにぎやかな港の一つでした。ゴールは、何世紀もの間、極東の国々と西部(地中海の国々)が繋がっている「シルクルート」が、海に沿って貿易の中心として知られていました。
ゴールのオランダ要塞は世界遺産に指定されています。要塞内には、個人住居、裁判所、郵便局、政府機関事務所のオランダ統治時代の建物があり、使用されていました。
この港は、コロンボとキャンディに次いで三番目に大きな都市で、要塞の城壁の下や向こう側には、きれいなビーチがあり、築100年以上のホテルがたくさんあります。
photo by Juergen Scheiber
世界遺産王都キャンディ Kandy

聖都キャンディも世界遺産であり、1521年から1815年までスリランカの首都であり、コロンボから116キロの所に位置します。海抜488メートルで、多くの密林に覆われている険しい山々に囲まれている丘陵地帯にあります。都市へ通じる道はわずかしかなく、自然森林です。

コロンボの次に、最も発展している現代都市でもあります。
都市の最大の呼び物は、仏歯寺で、元々は十七世紀に建てられたものです。この建物は未だに現存しており、このお寺独自の有名なエサラ・ペラヘラは、仏教徒の最も深く尊敬する場所の一つとなっています。仏歯寺を囲んでいるのは、豪華な建物、ヒンドゥー神を奉る神社、「ウルパンゲー」、王女達の入浴所です。お寺の前に、余興用の人口池のキャンディ湖があります。湖を横切ると、小さいが景色の良い王の庭園、マルワッタ、アスギリヤ寺院があります。
より最近の出所は聖ポール教会で、イギリス統治時代に属していた刑務所やいくつかの住宅は、未だに残っています。
ペーラーデニヤ植物園やラジャウェラ・ゴルフリゾートはキャンディにとても近く、ヌワラエリヤやピンナウェラ象孤児園へはキャンディから一、二時間で行けます。キャンディのその他の見所は、ダンバラ渓谷のカラプラに近く、そこには伝統工芸職人の子孫がまだ金属や木製で優雅な物を創っており、数世紀前の美しいフレスコ壁画のあるヒンダガラやデガルドルワ寺院があり、珍しい石や木の彫刻でできたガダラデニヤやアンベッケ神社、マハウェリ河土手沿いのペーラーデニヤ大学、フンナス滝、ハンターネ山でのハイキング、ウドワッタキャレー自然保護地があります。
キャンディはたくさんの工芸品、アンティーク店、お土産屋、観光客のどんな要望でも応えてくれる所等があり、ショッピングに最適な場所です。
 Festival ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
photo by Unknown
仏教徒の一年間で一日だけ、キリスト教徒にとってのクリスマスと同じくらい重要な日を選べと言われたら、それはウェサックの日になるでしょう。 国中の村や市の寺院が、鐘の響きと太鼓の音で、ウェサックの夜明けを知らせます。 宝飾や装飾のない、質素な純白の衣に身を包んだ敬虔な信者たちは、これからの二十四時間を静かに瞑想して過ごすために、寺院への道を辿ります。この一年で最も敬虔であった信者は、昼餐後は一切固形の食事を摂らず、沈黙を守って、不純な考えを抱く心、不純な習慣を持つ身体を浄化するようお勤めします。 村の他の人々は、日が沈むと寺の構内に集まって、バーナを聴きながら、聖典を読むとか、サフラン色の衣に身を包んだ僧が仏陀の生涯について話すのを聞くなどの、より負担の少ない宗教活動に参加します。

ウェサックは、静粛な祝祭であるため、色付きの透ける紙と竹で作られた、この写真のように、子供が喜びそうな簡単な仕掛けの蝋燭のランタンが、家々に飾られます。二千五百年以上も前に、釈迦牟尼が、北インドで生まれ、悟りを開いて、亡くなったのが約八十年間の同じ月の同じ日でした。全国の仏教徒が、その三つのイベントをウェサックの日に祝います。
photo by Sarath Perera
スリランカの国民の大部分が仏教徒です。 しかし、これまでの歴史の過程で、人々の日々の生活に影響を及ぼす神々を擁する民間信仰が、本流仏教に入ってきました。 これらの悪霊を鎮め、善霊を祭るために、入念な儀式が執り行われます。 仏教の聖職者によって奨励されることはありませんが、特に南部で、これらの儀式の熱心な信奉者がいます。パフォーマーは色鮮やかで恐ろしくも見える仮面を着けて、善悪の霊を体現します。 これらの仮面は、伝統的な工芸家による手作りで、地元産の軟材で作られており、かなり細かい細工が施されています。 スリランカ南部のアムバランゴダの町はこれらの仮面の産地として有名です。
 History ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
photo by Lalith de Silva
世界遺産聖都アヌラーダプラ Anuradapura

アヌラーダプラはコロンボから206キロ北東に位置し、紀元前四世紀から1017年までスリランカの首都でした。スリランカの歴史書−マハーウァンサ(大史)によると、そこはスリランカの最初の計画都市であり、狩猟用の特別地域、掃除夫、異教徒、色々な職業に就いている人々、墓地、給水設備と共に、パンドゥカーバヤ王が建設した。紀元前四世紀、この地域には歴史以前に定住していた形跡が見られます。
広大な地域に広がった都市には、主要碑が今日「聖都」と呼ばれている所に集中し、世界遺産に指定されている、アヌラーダプラ都市の完全なる一部として形成されています。
仏舎利塔、寺院、仏陀神社、仏教美術や彫刻の装飾品、宮殿跡、木陰、広範囲にわたる米作を支援する大きな人口貯水池等の仏教関連の風景が点在しています。
アヌラーダプラで見逃してはいけない特別な場所とは、岩の柱や元来9階建ての木製の棒(現在は岩の柱だけが残っています)真鍮製宮殿、アバヤギリ仏塔と寺院、ジェータワナー・ラーマヤ仏塔と寺院、クッタンポクナ(双子池)、サマーディ仏像、ランマス・ウヤナ、古代女王の喜びの庭園や入浴所、イスルムニヤ寺院、アヌラーダプラ美術館などです。夜間、スリーマハーボーディ樹やルワンウェリサーヤ大塔に出掛けると、心の落ち着きを取り戻すことができます。
Kelaniya Temple
Kelaniya Temple

伝統的なスリランカのダゴバ、塔という言葉があてはまりますが、これはレンガでできた半球状または鐘形の構造体と、正方形の台座とで成り立っています。 この先端に、金めっきの施された装飾が付いた尖塔があります。 通常、ダゴバのまわりには、仏陀の像と彼の門弟たち、様々な神、花を供える場所、宗教的な集まりための広大な広場などのある中庭が取り巻き、塀で囲われています。 そこには、神聖な天竺菩提樹の木も植えられているのがふつうです。
photo by Mortlake Press
世界遺産第二の首都ポロンナルワ Polonnaruwa

ポロンナルワはスリランカの二番目の首都(1017年から1215年まで)であり、コロンボから北東へ216キロ離れた所に位置する、世界遺産指定都市です。人口貯水池「パラークラマ・サムドゥラヤ」というスリランカで最大の貯水池で、2,500平方ヘクタールに広がっています。
現存する遺跡は、王宮、王の会議所(ニッサンカ・ラター・マンダパヤ)、聖遺骨部屋(ハタダーゲ)、塔(キリヴィハーラ、ワタダーゲー、パブル・ヴィハーラ、ランコトゥ・ヴィハーラ)、ヒンドゥー教寺院(シヴァ・デーワーラ)、池(ネルン・ポクナ、クマーラ・ポクナ)、仏殿(ティワンカ・ピリマゲー、ランカーティラカ、トゥーパラーマ)、寺院(ポトゥグル・ヴィハーラ)、パラークラマバーフ王の像等、基本的な仏教芸術の形は残す一方で、パッラヴァ(南インド)の多くの芸術的で彫刻・建築芸術の影響を受けています。岩から作られた仏像複合体ガル・ヴィハーラは、他の遺跡から数キロ離れており、ポロンナルワでは珍しい形をしています。
Dambulla
世界遺産石窟寺院ダンブッラ Dambulla

世界遺産の一つであり、シギリヤから13キロ南西へ離れた所に位置するダンブッラもまた、高さ約150メートルもある岩の塊です。
何世紀間も仏教僧達が居住していた洞窟を、紀元一世紀にワラガムバーフ王が壮大なお寺に変えたのです。
その岩の周辺には八十以上もの小さな洞窟があるが、片側の五つの大きなものが一つのお寺へと変えられたのです。これら五つの洞窟は地上105メートルあります。最初の洞窟には、長さ13.1メートルの仏陀が横たわっている像が現存の岩から作られています。洞窟の壁は仏教関連の絵画が描かれています。二番目の洞窟には、一番立派で大きな153体以上もの等身大の神の像やたくさんの仏像があります。天井はフレスコ壁画、仏陀の人生叙事詩やシンハラ人の画期的な出来事が描かれています。
 Scene ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
photo by Tom Tidball
スリランカは、約1,000km続く美しい海岸線に囲まれています。港、入り江がある場所以外は、ほとんどの海岸地帯にはきれいな砂浜ビーチがあり、海も安心して泳げます。東部海岸のビーチは、白い砂浜でとても広いビーチです。西部・南部の海岸も柔らかな砂浜で、水泳、サーフィン、ウィンドサーフィン、水上スキー、スキューバ・ダイビング、パラセーリングのようなマリンスポーツに理想的な海です。これらの海岸地帯や湖や入り江から海へ流れる川も、水上スキー、パラセーリング、魚つり等のような様々なマリンスポーツに十分な機会が持てます。南西部のヒッカドゥワから2、,3マイル離れた、海底2、3メートルの所には、たくさんのカラフルな魚の住処でもある、美しい珊瑚礁が見られます。
海岸地域は暖かく、潮風が気持ちよく、日光浴が楽しめます。日陰を作るヤシの木々は、ほとんどの海岸地域でよくある光景で、水平線に浮かぶ夕日が息を呑むほどです。
西から南へ(ニゴンボからハンバントタまで)伸びる海岸線は十月から三月にかけてが海や空が青く一番良い時期です。東海岸はよりのどかで、違いを感じられるでしょう。最も良い時期は四月から十月にかけてです。
湾岸全体は、西部・東部の文化的娯楽やスポーツを観光客に提供するホテルやロッジが点在しています。事実、ベントタからヒッカドゥワまでの地域には、住宅よりも大きいものから小さいものまで、特徴的なものを備えているホテル・リゾートがあり、またたくさんのお土産屋もあります。ホテルの中には、ビーチで象に乗せてくれるところもあります。伝統的なスリランカの結婚式もホテルが外国人用に用意しており、最近は非常に人気があります。
ラグーン付近の湾岸地帯では、有り余るほどのマングローブの植物が見られます。
Nil Mahanel Flower
睡蓮、植物学上の名称、Nympheae Stelletaは1986年にスリランカの国花と定められ、今に至ります。数知れないシンハラ語、パーリ語それにサンスクリット語の文学作品中で言及されたこの花は、仏教文学の中で卓越した位置を占めています。シッダールタの足跡上に残る、多数の睡蓮の儀式的デザインの伝説がまた、仏教徒たちに、この花の特別な重要性を与えています。シギリヤのフレスコ画の中で永遠に生き続ける乙女たちの手の中のこの花は、彼女たちの霊妙な美を強調し、詩人たちは常に、女性の瞳を、つぼみの睡蓮の花にたとえてきました。睡蓮は浅く暖かい水域で成長し、スリランカのどこででも見ることができます。特に北部の乾燥地帯に繁殖するので、この花は北部地域の古都や、その周辺の寺院や仏舎利塔の供花として、地域の仏徒にも親しまれています。いろいろな色のあるこの花の中でも紫色がかった青の花は、中心に花弁が密生しています。この種の睡蓮は、真実、清浄および努力のシンボルと考えられています。
 Village ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
photo by Lalith De Silva
1849年、英国人によってスリランカに導入された茶は、いまだに主要な輸出品のうちの一つです。今日では、茶は三つの異なる標高で栽培されています。低地産は海抜600メートル、中高地産は600〜1,200メートル、および高地産の1,200メートル以上です。スリランカで栽培された茶は、ワイン醸造用葡萄にも例えられるように、各地域独特の風味と芳香を持っています。エキスパートのティー・テイスターは、優秀なワイン・テイスターと同様に、異なる地域の茶を利き分けることができ、さらには、同じ地域同士の異なる茶園産まで区別することができます。
photo by Tom Tidball
スリランカの乾燥した北部平原は、チリ(唐辛子)を栽培するための理想的な気候に恵まれています。日中の高い気温と乾燥した空気は、チリや玉葱のような野菜に最適なものです。熱い日差しの中で乾いていく、チリの赤いカーペットから、この小さな農場の所有者が、作物への恵みを享受していることを確かにうかがうことができます。
背景の小さな家は、全て地域で供給可能な建築資材で作られています。日干し煉瓦の壁とココナッツの葉を織って葺いた屋根は、村の人々のシンプルな生活から生まれる創意を証明しています。
photo by Tom Tidball
スリランカの中央高地に滞在すると、この写真のような光景は、至る所で繰り返されるのを見ることができます。細い道を辿ってへ丘を上ると、朝霧が谷から静かに、あなたを包むように這い上がってきます。まわりは、涼しい夜に凝縮した露を含んだしたたるような青葉。このあたりの小さな行商人、ワッティアンマが、地元のポーラ(市場)へ急ぎます。彼女の頭の上でバランスを保っている籠は、新鮮な取れたて野菜と果物であふれんばかり。じっと耳を澄ましてみてください。すると、近くの小川を流れる水の泡立ち、昇る太陽の最初の日射しを浴びて目覚めた鳥たちの、今朝一番のさえずり、あるいは登校途中の子供たちのかわいい笑い声を、あなたの耳にとらえることができるかもしれません。
 Wildlife ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
photo by Chris Raffle
アオサギはスリランカのどこででも見られ、大きな群れをなして飛んでいる姿の見事なことは別として、水田の害虫駆除係を勤めてくれます。彼等にとっての主要な食料源となっているカニは、アオサギがいなければ、ライス・テラスをめちゃめちゃに破壊してしまうところです。ただし、ときどき迷い込んでくる魚や蛇の子には、さすがのアオサギもお手上げです!
photo by Mortlake Press
老いも若きも、すべての象にとって水浴びは大きな喜びのときです。また、私たちにとっては、彼らのしっかりとまとまった家族構造を、間近に観察する非常によい時間です。若い象は群れの中の大人たちによって世話をされ、保護されています。また、群れのリーダーは全員から尊敬されています。
表紙へ戻ります。 Thanks to InfoLanka & Embassy of Sri Lanka in Japan